時計は12時をまわり、とっくに日付は変わっていました。久しぶりに、何もない週末をむかえ、3連休の真ん中の日だと気づいたのは、何もないことに物足りなさを感じて、外に一歩出たときでした。普段は、朝まで賑わっているマチが、静寂をたもった夜らしい闇に包まれているのでした。寂しい気を紛らわすつもりで、喧騒に触れようと思った僕は拍子抜けです。それでも月が優しい光で東京のマチを照らしていたから、張り詰めた冷たい空気の中、歩く僕を少しあたたかい気分にさせてくれました。
歩き始めました。朝4時半キックオフのアトレティコとバルサの試合まではまだ早すぎるし、一度寝たら試合終了まで目が覚めないだろうなと思って、オフィスに戻るのをやめて、歩く速度を少しあげました。少しずつ息が上がっていきます。いつの間にか、MINATOシティハーフマラソンによる交通規制の看板を横目に、にわかランナーが月夜を疾走していました。目的も理由もまったくなく。交差点では青信号をわたり、どこを目指すわけでもなく、ただ流れに任せて。人もクルマもいないマチを。
知らない道でもないのですが、何も意識しないでいると、通り過ぎる景色も通った道程もよく覚えていないものです。同じ道を何度か走り抜けたかもしれません。特に印象も残らず、何も考えさせられることもなく、白い息が闇に消えて行きます。新しくなった虎ノ門も建設中の新しい建物も目に入りません。でも、さすがに東京タワーの真下にたどり着いたときには、立ち止まりました。
大きいな。普段遠くから見る東京のシンボルは、意外と太くて力強く、落ち着いた大人の印象です。1958年の竣工以来、東京の日本国の成長を見続けてきているのだから、その印象は間違っていないでしょう。
直向きに続けることが大切なのは間違いありません。でも何も考えず、目指すところもなければ、何も残らないでしょう。どんなに速くてもどこにも辿りつけないでしょう。思いがなければ、何も成し遂げられないでしょうし、目の前で何かが起きても気づきもしないのでしょう。ひとつひとつの行動と費やす時間に、思いや魂を込めなければならないのだと、東京タワーが教えてくれた夜でした。
気づけば、東京は朝の7時。アミーゴからのメールが、うたた寝していた僕を起こしてくれました。できれば試合結果を書かないでほしかった…ジエゴコスタがバルサから初めてゴールを奪ったそうです。